
とまどっているのだと思います。女性の社会進出に伴う基本的な考え方は、「責任を分かち合う」という観点であると思います。たとえば、家庭の問題は、その家庭の構成員すべての責任であるわけです。親も子もすべてがその責任を負わなければなりません。母親だけの責任ではありません。 シンガポールの方もご質問になりましたが、「女性が家庭を離れて仕事をするように国がなんとかサービスを提供すべきなのか」、また、「ご主人が家事をすべきなのか」という問題が具体的に発生してきます。私はすべてのメカニズムが必要なのだろうと思います。どれか1つで充分ということではないと思います。 いずれにしても、女性が家族生活以外の面でも自己充足ができるようにしなくてはなりません。多くの国では共稼ぎで働かなくては家計を維持できないという現実があります。 そのような現実があるならば、国家、民間NG0はもっとその活動を支援するための施設をつくるべきでしょう。高齢者、子供のためのセンター、育児センターをつくる必要があると思います。しかしこれは、国だけにまかせてはいられないことです。親というのは両親2人ということですから、父親の家庭における協力も必要だろうと思います。 私は、心理学者ですが、子供を育てるということはすごいチャンスなのです。 お父さんはかわいそうに、なかなかそれをしないので、そのチャンスを生かせません。小さな子供のときに子育てに父親が十分に参加しないため、十代以降になって父親の権威を発揮しようとしても、もうそこに疎外感が生まれてしまいます。父親として、子育てに家庭で与えられるせっかくのチャンスを失ってしまったのです。たいへん悲しい気がします。そういった意味で、やはり今の世界では男性ももっと果敢に取り組んでいただきたいと思います。 女性のエンパワーメント、女性にパワーを与えるとは、どんな意味がと聞かれました。経済的な側面もありますが、政治的な側面もあります。そしておっしゃるように、家庭ではずいぶん力があるのかもしれませんが、私の答えは、こうさせていただきます。それ以上にもっと何かあるはずです。まだ何か欠けているような気がします。パワーといいますが、家庭でのパワーもある意味でインフォーマルな方なのです。特に家庭以外では非常に女性としての力が無駄にされている、十分に生かされていない、評価されていないという気がします。 内助の功、成功する男性の陰に女性あり、と男性はおっしゃいますが、それはさておき、この問題は、真剣に考慮するに価する大変重要な問題です。フィリピンでは、“元気な力のある女性がいる場合には、そのご主人は彼女のスカートの下に隠れている”というような言い方もします。しかし、インフォーマルな形で女性が強く主張する、たとえば家庭で、特に“かかあ天下’’にならざるを得ないのは、他の場で女性が
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